2019年5月、年号が「平成」から「令和」に改まる。平成の30年間は、太陽光発電にとって激動の時代であったが、太陽光発電は新芽から大きな蕾をつけるまで成長した。「令和」時代には、この蕾が開花し、大輪の花を咲かせることとなろう。
「昭和」の時代には、太陽電池が発明され、特殊電源として利用されつつ、国家プロジェクト「サンシャイン計画」もとで、エネルギー技術としての開発と実証が進められた。1989年1月に「平成」時代に入ると、太陽光発電は技術開発から初期普及段階へと移り、エネルギーとしての利用を模索しながら、2018年には将来の主力電源と位置付けられるまでに劇的な進歩を遂げた。平成30年間を振り返ると表1に示すように、前半はエネルギー政策の中心が原子力にシフトする中でも、新エネルギーの重要性は認識され、1992年には太陽光発電からの余剰電力の買取制度が始まった。1994年には「新エネルギー導入大綱」が閣議決定され、住宅用太陽光発電システムに対する補助金制度が創設された。その後「新エネルギー導入促進法(1997年)」、「エネルギー政策基本法(2002年)」、「新エネルギー利用法(RPS法、2002年)」が順次制定され、太陽光発電の普及が加速された。この間、わが国は年間導入量で2003年まで、年間生産量で2006年まで、世界No.1となり太陽光発電普及の模範国となった。しかし、2005年に住宅用太陽光発電システム補助金が終了すると、わが国の導入量は低迷期を迎えた。
太陽光発電導入拡大の流れが再び取り戻されたのは、2008年に閣議決定された「低炭素社会づくり行動計画」で、太陽光発電の導入目標として2020年14GW、2030年53GWが設定されたことが契機となった。経済産業省は「新エネルギー政策の新たな方向性」を緊急提言するとともに、2009年には「エネルギー高度化法」が制定され、太陽光発電からの「余剰電力の倍額買取制度」が始まった。この動きは後の「再生可能エネルギー全量買取制度」の法制化議論への引き金となり、2011年には「再生可能エネルギー法(FIT法)」が制定された。2012年7月より固定価格買取制度が開始されると、太陽光発電の普及加速が始まった。このFIT法による太陽光発電の爆発的な導入は、国民負担の増大をはじめ、多くの社会問題を引き起こすこととなったが、今後のエネルギー政策の基本となる「第5次エネルギー基本計画」に“再生可能エネルギーの主力電源化”が明記され、今日に至っている。
経済産業省は、先月、2020年度末までに行うFIT制度の抜本的見直しに向けて「再生可能エネルギー大量導入・次世代電力ネットワーク小委員会」を再開し、主力電源化に向けて第3フェーズの審議に入った。今回は再生可能エネルギー政策の再構築に対して、①電源の特性に応じた制度の在り方、②適正な事業規律、③次世代電力ネットワークへの転換などが審議されることとなっている。本格審議は「令和」における初仕事になろうが、主力電源化に向けて厳しくともぶれない、将来を見据えた道を選択して欲しい。太陽光発電業界もまた一丸となって「令和」という新時代に相応しい道を切り開いていこう。昭和を技術開発の時代、平成を普及の時代と位置付けるならば、令和は光り輝く、太陽光発電大発展の時代としよう。